【Chizoo番外編】物語の黎明録
■登場人物
・新聞記者(主人公)
・老人
・若いころの老人
・奇妙な青年
・女中
所要時間:25分
あらすじ:
深い森に厳かにたたずむ白銀の城。
この城の城主は
20年前、物語を紡ぎ
世界に名を轟かせた
時代の寵児であった。
しかし、彼は名前が知れ渡るのに比例して
世間から姿を消していった。
最後に、身をゆだねたのがこの白銀の城。
お金も名誉も欲しいものは全て手にした。
そんな彼には、唯一手に入れられないものが存在した。
何故、姿をくらませたのか。
何故、物語を書かなくなったのか。
何故、主人公を屋敷に招き入れたのか。
手に入れられなかったものとは何か。
足を踏み入れた今、扉が開かれる。
※注意
時代考証を行っていません。
まずは完結させることを優先しました。
時代にそぐわぬ発言や違和感がある箇所が出てくると思いますが、明治~大正~昭和あたりのファンタジーだと思ってお読みいただければ幸いです。
それでは始まり始まり。
ふー寒い寒い。
凍りそうだ。
あのー、
本日15時に取材の約束をしております、
明治新聞の記者です。
先生にお話をお伺いできればと思いまいりました。
……って、聞こえるわけないか。
私は雪化粧をほどこした石造りの屋敷の扉の前に立っていた。
その屋敷は、
深い森にたたずむ砦の威厳と
おとぎ話の世界のような、
神秘的な美しさを兼ね備えたお城だった。
獅子の頭部を象った
ノッカーを手に取り
扉に3回ほど叩きつける。
ゴタン、ゴタン、ゴタン
こんな鈍い音で聞こえるのか。
しっかり鳴いてくれよ。
ライオンさん。
金属製の獅子の表情は、
来訪者を拒んでいるように思えた。
屋敷の扉の前に立ち、
両手を摩擦させながら
足をジタバタさせて返事を待っていた。
日本中が今季一番の記録的な寒波に覆われた。
呼吸をすると澄んだ空気で肺が満たされ
体の奥まで真に冷える
そんな一日だった。
お待ちしておりました。
外は寒かったでしょう。
中に入って暖まってください。
女性が慌てた様子で扉を開いた。
おそらく女中であろう。
凄く寒いです。
ありがとうございます。
白い息を吐きながら
体についた雪を払っていると、
女中がしんしんと降り注ぐ雪を眺めてつぶやいた。
寒い中大変だったでしょう。
でも、
こんなにも雪が降りつもるなんて初めてだわ。
珍しいことは重なるものね……
そうなんですね。
このあたりでも積もることは少ないんですね。
大変な日に訪問してすみません。
いえいえ、
構いませんよ。
私は先生のことを伺ういいタイミングだと思い
先生のことを質問した。
そのー、
先生ってどういう人ですか。
すると女中は
雪から目を下へ逸らして
考え込むように口を開いた。
……
虚構に生きた人。
……
あっ、そうでした、
先生は書斎にこもっております。
終日、あそこにこもって出てきませんので、
取材でしたら、よかったら書斎まで足を運んでください。
わ、わかりました。
私は、話を遮られるようにして屋敷の中へ案内された。
どうぞ。
私はすかさず屋敷の中へ入り女中の後ろを歩いた。
内の暖かさは冬風が心身ともに削っていく外とは雲泥の差だった。
外観にも圧倒されたが、
天井が高く、重厚な空間が広がる内観は、
私を驚かせ緊張させ、再び凍り付かせた。
しかし、こんな豪邸、何をしたら建てることができるのか。
就寝前に明日の仕事をどう片付けるか思い悩む、
一介の庶民には、はなはだ見当がつかない。
そんなことを考えていると、
女中はこちらを振り向いて、嬉しそうに口を開いた。
それにしても何年ぶりでしょうか。
先生を訪ねるお客様なんて。
そうなんですか。
先生が有名だったのも昔の話ですし、
こんな片田舎に片道何時間もかけて、
お話を伺いに来るなんて、よっぽどのもの好きしか来ませんから。
確かに、ここにくるまでの道中は苦労した。
ここらの地域はバスが一日一便走っている程度で、
その一便を逃したら、歩いて目的地を目指すか一晩を明かすか。
少し栄えている村の繁華街に出るにも歩きで1時間はかかる。
ましてや、東京からくるとなると往復で5日は当たり前だった。
そのうえ、雪が降り積もっているのだから命がけだ。
もの好きなんですかね私。
ふふ、どうかしら。
彼女はいたずら交じりに、しおらしく笑った。
色っぽい女中だ……。
いかんいかん。
先生との取材前だというのに、
彼女に気を取られて緩んでいる場合ではない。
浮ついている場合ではないのだ。
けれども、
嬉しそうに話している姿を見ると、
もしかしたら、私に気があるのではないか。
彼女は私に一目ぼれしているのではないか。
失礼なことを言われたにもかかわらず、
女性に話かけられたことで、弾んでいた。
その勢いのまま、
出会い頭、
彼女が、先生について気がかりなことを
話したのを思い出し、会話を続けた。
しかし、先生はいつも書斎にこもっているとおっしゃっていましたが、
書斎にこもって先生は何をしているのですか。
先生はもう本を書いていないはずですよね。
そうですね。
先生はいつも書斎にこもって一人で物語を語っております。
こちらへ越して、15年近くあそこで物語を語る生活をしています。
15年もですか。
(一人で物語を語る……
いったいどういう事なのだろう……)
世界に轟く、あの名作を世に送り出した後、
一冊も本を書かなかった先生。
書斎に引きこもっているくらいなら、
続編を書いてくれればいいものを。
先生の身にいったい何があったのか。
私はますます、先生に取材できる事が楽しみで仕方なかった。
そんな生活をしているものですから、
先生の話し相手と言ったら私くらいしかいないのです。
だから、今日はお客様がきて嬉しいのです。
彼女は終始笑顔だった。
笑顔に騙されて自分に好意があるものだと
勘違いしてしまうことも多々あるが、
何より彼女の憂いのない笑顔が、
先生に会う前に緊張する私の心を
落ち着かせた。
しかし、先生は謎が多すぎた。
20年間、抗拒不承の精神で取材を
断固として受けなった先生が、
一転、私のような十人並みの記者の
取材のお願いを引き受けたのだ。
そのせいで社内は大騒ぎだった。
お前は運がいいだのと、もてはやされ
出世したら飯おごってくれだのと、たかられ
お前は言葉で人を動かす才能があるなどと、ちやほやとされた
これもひとえに、
私のちまちまと続けてきた努力のおかげなのか。
いや、それはないはずだ。
私は「貴婦人の恋」という雑誌で小説を連載していた。
明治新聞の雑誌を扱う部署に配置転換された私の元上司が
「ちょうどスペースが空いているから何か書け」
といわれのない要求を私に押し付けてきたのが事の始まりだった。
じめじめとした雨のにおいが体中にまとわりつく
去年の梅雨の話だ。
私は、混迷を極める国際情勢の中、
少しでも早く、正確に、
情報を伝えるために編集作業で多忙を極めていた。
そんな折に元上司の奴が現れたのだ。
一分一秒も無駄にできない。
そんな気持ちにかられながら
会社で作業を進めていると、
腰をくねらせて、一枚の紙をひらひらとたなびかせ、
デスクの隙間を縫うように歩いてくる奴と目が合った。
すぐに目をそらしたが、
奴は笑っていた。
奴がご機嫌な歩き方をしている時は
大抵、突拍子もない仕事をふられる時だった。
悪い予感は的中した。
「ちょうどスペースが空いているから何か書け」
用紙をデスクにたたきつけて
「ちょっと待ってください。いきなりなんなんですか。
今、僕仕事で忙し」
「とにかくだ、
やることはこの用紙に描いてあるから
来週までに原稿用紙50枚よろしく」
「わかりました……
……まぁ……
……できる限り
……やってみます。」
こういう時は奴に何を言っても無駄だった。
そのため、私は歯切れの悪い返事をしたが
その答えを聞いた
奴は満足したようだった。
やるという約束をこぎつけさえすれば、
私が投げ出すことをせず、
ある程度のものを仕上げてくると、
高を括っている。
奴にはこの返答で十分だったようだ。
私も私で、
人のお願いを
無下に突っぱねる事に抵抗があったが為に
受け入れてしまった。
どうして、
人のお願いを断れない
こんな性格になってしまったのだろうか。
窓を眺めながらため息をついた。
なぜこんな性格になってしまったのか。
私には心当たりがあった。
それは幼いころに読んだ小説の主人公に端を発していた。
人助けを苦と思わず火中に飛び込み、
智慧と努力で、問題を解決し
次第に慕われ英雄になっていく。
子供の頃に刷り込まれたその憧れが、
十把一絡げの大人になった私を蝕んでいた。
今は、そんなことはどうでもいい。
奴は私が、その、
子供時代をいつまでも引きずる
青臭い性格であると知りながら
多忙であることを知りながら
要求してきたのだ。
「ちょうどスペースが空いているから何か書け」っと。
私の元上司はそういう奴なのだ。
楽天的で、愛嬌ある笑顔で人を誑し込め、
金がないと後輩にたかり、
お金にだらしがない。
かと思えば、
仕事に対してはどこまでも非情になり、
人をとりまとめ、部署の業績を回復させ、
どこか頼りがいのある、悪い奴なのだ。
元上司と関わると、
袋のネズミの気持ちが良くわかる。
いっそのこと楽に殺してくれ。
何度そう思ったか。
狼狽する状況の中、
目を血走らせて、窮地へ陥れた元上司の捻くれた顔を
思い浮かべながら書いたのが、
かの名作「月下を食べあぐむ」。
怪物と女性の儚くも美しい愛を描いた恋物語だ。
しかし、先生じゃないのだから、
街灯もない、辺り一面、木々と空しか映らない白銀に染まる田舎にまで
私の名前が売れているわけがない。
ましてや、先生が読んでいるはずがない。
お便りも年に2.3通ほどしか届かない、
読者がいるのかいないのか
いまいちわからん、
雑誌の隅に追いやられた、
穴埋め要因の名作なのだ。
だからこそ、今回の先生の抜擢は
皆の度肝を抜かせたのだった。
女中は私を階段まで案内すると、
書斎は二階の一番奥の部屋に位置しておりますので、
わからない際はまたお申し付けください。
と言い残して駆けていった。
ありがとうございます。
それにしても、立派なお家だな。
俺もいつか、こんな家に住みたいものだなー。
実に立派だ。
あれこれと考えていると、
二階の一番奥の部屋の前にたどり着いていた。
しかし、この部屋が女中さんが言っていた、
二階の一番奥の部屋であっているのか不安である。
初めてあがる人様の家に一人でとり残されているのだから不安になるのも当然だ。
浮ついていないで、書斎の場所を、
詳しく聞いておけばよかったと後悔をしつつも、
確かめるすべはこのドアを開ける行為のみ。もう一度女中さんに頼むという性分はない。
悩んでいても仕方がないと気持ちを切り替えて、
一呼吸入れ、
私は二階の一番奥らしき部屋のドアの前に立ちノックをした。
コンコン
待てど暮らせど何の返事もない。
私は失礼しますと声をかけ、
書斎のドアを開けると、
ハットを深々とかぶり、スーツを身にまとう、
見知らぬ一人の老人が椅子に腰かけていた。
白ひげを蓄えた老人の年齢はおおよそ70前後といったところだろうか。
身なりが整っているためか老人だったためか、人様の家だったためか、
全く知らない人がそこに座っていたが動揺はしなかった。
本棚に囲まれたその部屋は、小さな窓しかついていないため、昼だというのに薄暗い。
燭台のロウソクの灯りが一人の老人の手元を照らしているだけだ。
ドアを開けた影響で冷めた空気が入り込み気流が乱れ炎が揺らぎ老人の影を大きくうねらせる。
老人は読んでいた本をぱたんと閉じ一冊の本を棚から取り出し、また椅子に腰かけると
どちら様ですか?
と私に問いかけた。
あっはい。
本日取材の予定で参りました明治新聞の記者です。
そうですか。
あのー、
穢土迷爾先生がこちらの書斎にいると伺ったのですが。
目の前の老人は私の質問に答えることなくこう続けた。
まあ、立ち話もなんでしょう。
適当に座ってください。
この人が先生なのか?
もらっている写真とは別人だけれども……
先生はおおよそ50歳。
写真と見た目が変わっていたとしてもあまりにも容姿がかけ離れていた。
少し疑問に思ったが名前を伺うタイミングを逃した私は言われるがまま座ることにした。
しかし、座れといっても書斎にはイスは一つしかない。
その椅子はというと目の前の老人が座っている。
床も棚に入りきらなかった本であふれかえっており座るどころではない。
あのー、
ここに座ってもいいでしょうか?
あなたはどう思いますか?
(どう思うときかれてもな……)
まあ、良いのかなと。
それではどうぞ。
は、はあ。
変な爺さんだなと思いながら本をどかして床に座ると、
老人は口を開いた。
この屋敷、あなたにはどう見えますか?
どう……
どう思うと聞かれてもな……
私は考えた。
屋敷……
石造りで重厚感があって
装飾は丁寧に作られている。
いずれ、歴史的に価値のある建物として
保存されていくのではないでしょうか。
こんな建物を建てた、先生は凄いです。
私は、素直に思ったままを口にすると
老人はおかしな事を言い出した。
そうですか。
あなたは騙されていますよ。
こんなもの何の価値もないのですから。
は、はあー
私は相槌をうった。
ましてや、
先生が凄いのではありません。
建築するために関わった
名も残らぬ人々。
命を削った彼らがいてこそ
何事もなせるのです。
先生は自分の欲望に負けた、
命を削った側の人間にすぎません。
あなたは騙されていますよ。
世界は偽りでできているのです。
何なんだろうか、このおかしな老人は。
そう考えていると、
老人は足を組み椅子のアームに肘をのせ頬杖をつき私を見つめて、
まるで本の読み聞かせをするかの如く、
年輪を感じさせるしゃがれた声で、語り始めた。
—
時代は大正時代。
これは昔、私が汽車で相席した奇妙な青年の話だ。
私は小説家になるために記者の仕事をしながら本を書いている。
今現在執筆中の小説の取材のため汽車で地方に向かっているところである。
そんなさなか私は奇妙な男に出会う。
ポーポーまもなく発射します。
ご乗車の際はお気を付けてお乗りください。
おっと危ない危ない。
間に合ってよかった。
私は急いで汽車に乗り込み空いている席を探していた。
おっ。
あったあった。
その席の前には一人の男が座っていた。
あっあのこちらの席開いていますか。
男はこう答えた。
あなたはどう思いますか?
い、いえ空いているのかなっと。
それではどうぞ。
変な男と相席してしまった。
その時私はそう思った。
その男は声に特徴があった。
やや高い声をしており、
不快ではないがまるで耳元で話しているかのように絡みつくような声をしていた。
見た目は肌が白く西洋風な装いをしておりハットをかぶり顔を隠していたが、
年齢は20前後。私よりも8歳ほど年がしたかのような雰囲気を帯びていた。
私は荷物を置き椅子に腰を据えてひと段落すると彼は私に話しかけてきた。
旅行ですか?
い、いえ仕事の取材で。
仕事なんてやめなさい やりたいことをやりなさい。
まあ、自分の小説の為にいま働いているんだけどな。
まあいい。
そんなことを思っていると、
続けてまた彼は話しはじめる。
窓の外の世界あなたにはどう見えますか。
ま、ま窓?
窓の外の世界……。
うん、まあ……
工場や西洋風な建物
ビルが
立ち並んできて発展してきたかなっと。
道も整備されて、
やっぱり、この国は開国して正解でしたよ。
ため息交じりの返答がかえってきた。
……そうですか……。
この世界は偽物ですよ。
少し語気を強めて彼は話だした。
会社という場所は、
お金に頭を下げ、
人間が嘘の一部になる大きなカラクリ人形です。
ビルというものは、
地球からすれば粉瘤(できもの)みたいなものです。
道は、
咆哮を撒き散らし、
我が物顔で走る鋼の野獣のための赤絨毯なのです。
あなたは騙されているのですよ。
世界は偽りでできているのです。
卒爾、出会ったばかりの青年に小難しい話をされると思っていなかった私は面を喰らった。
考えるまもなく、続けざまに彼は話し始めた。
思い出してみてください、あなたが小さかった頃を。
あなたは両親から嘘をつくなと教わったのではないですか?
噓つきは泥棒の始まりだと。
しかし、現実はどうだろうか。
噓を着飾り身にまとう人間ほど幸せそうに暮らしているのではありませんか?
夢を語らう者、物語を紡ぐ者、民衆を扇動する者
神、悪魔、天使
彼らはいつだって嘘つきだ。
にもかかわらず、
散々嘘をついてきた大人たちは皆、目を鋭くとがらせて、
子供達に嘘を教えるのです。
嘘をつくな!ッと……。
嘘は絶望にも希望にもなる、
恐ろしくも美しい力だというのに。
あなたの愛した人、彼女はあなたに何をしてきましたか。
愛していると囁いた次の日には、別の男と寝ている。
悪びれる様子もなく別れ話を切り出し始める。
他の男性と結ばれ幸せな生活を送る。
世界はどうだろう。
ありもしないものに価値を付加し嘘を伝達して経済は回っている。
国は物語を蛇口からひねり続けることで国民が乾かぬようにコントロールしています。
皆、当たり前のように嘘をついているのです。
そう、世界は偽りでできているのです。
な、なんだ君は。
私は彼のことをいかれた変な奴だと思い、
思っていたことを、つい口走っていた。
その言葉が彼に聞こえていたようだった。
彼はこう答えた。
うーん
一言でいうと真実の瞳を持つ者と言っておきましょうか。
迷いのない声色で彼は自分のことをそう告げた。
そういうと彼はまた口を開きだした。
私は英語を話すことができるんですよ。
そ、そうなんですか。
な、なんなんだこいつは。ふざけた奴だ。
恥ずかしげもなくよくそんなことをペラペラと話せるな。
気が違う、頭のねじが吹っ飛んでいる、あまり関わりたくないおかしな奴だ。と思った。
半面、自信に満ち溢れた彼にうらやましさを感じた。
まぁしかし、まだ子供じゃないか
話だけでも聞いてあげよう。
そう、心の中で思っていると、
彼はたどたどしい日本語英語で
あいきゃんすぴーくいんぐりっしゅ。
と呟いた。
な、なんだそのくらいなら自分にでもできる。
どうせ、この後に続くのは、
マイネームイズから始まる自己紹介だろうと考え
私はバカにした笑みを浮かべた。
彼は私の反応を伺った後に、まるで私を試すかのように、
耳にまとわりつく笑い声を浮かべ、にやりとした。
その直後、彼は続けて英語を話しはじめた。
一分ほど彼は英語で話し続けていた。
それは先ほど喋った日本語英語ではなかった。
私はあっけにとられた。
初めて聞く日本語以外のネイティブの言語。
彼の内からあふれ出す自信。
見慣れない服装や声質の影響もあるのだろうか。
まるで、二人が座るこの空間が、
彼に操られているかのような錯覚を覚えた。
特に、彼の耳にまとわりつくあの笑い声が、
私に奇妙な錯覚を覚えさせていた。
心を煙で巻くような、黒い煙で全身を包み込むような、
鼻にかかった青紫色の笑い声が頭から離れなかった。
英語で何をしゃべっていたかは聞き取れなかったが、
私は、まだ二十歳そこそこの彼の不思議な魅力に興味が湧いた。
君は何者なんだい?
また、彼に同じ質問をしてみた。
彼は答えた。
一言でいうと留学生かな。
そういうと、彼は足を組み、頬杖をついて、
本の読み聞かせでもしているかのように、
ある物語を話し始めたのである。
私は賭け事が好きだ。
その中でもポーカーを嗜んでいる。
ある日、イギリスのロンドンにある小さな酒場に行った。
酒場では常連客がポーカーを行っていた。
ちょっと混ぜてくれないか?ポーカーのルールはわかる。私も好きでね。
男たちに声をかけて椅子の横につけると、
見慣れないアジア人の客に突然話しかけられ常連客は薄ら笑いを浮かべた。
おい、子供はこんなところ来るもんじゃねーぜ。
早く家に帰ってお母さんにおしめでもかえてもらいな。
がははははは。
店中に大きな笑い声が響いた。
おい、ちょっと待ってくれよ。俺は子供じゃないぜ。
それと、妄言は勝負に勝ってからにして欲しいな。
お兄さん隣の席に座るよ。
なん、なんだこいつ。
勝手に座りやがって。
まあいいじゃないですか、こんな奴やっちゃいましょうよ。
一時間たった。
大勝ちだった。
勝ちすぎているし、一杯くらい奢って今日は終わりにしよう。
そう思った瞬間だった。
ちょっと坊主、俺たちの店でど派手に楽しんでいるみたいだね。
勝負を横の席で見ていた別のグループの男たちが話しかけてきた。
おい、そこの席よこしな。
先ほどまで一緒にポーカーをしていた男たちに、
そう告げると男たちが私の隣に座り始めた。
先に結果だけを伝えると、
私はこの男たちに勝負を持ち掛けられ、この後チップを失うことになる。
トランプを一枚めくる、そしてまた一枚。
私の手札は♣A♦Aのワンペア。
良い手札がそろったときは油断するな。
ベット。
お前の番だぜ。
私は慎重に、
まずはコールで場の様子を見ることにした。
参加者たちはレイズとコール。
私もまたコール。
相手も強気でいい手札がそろっているようだった。
三枚のカードがめくられた。
その中には♥A ♠K ♦3 。
AAAのスリーカード悪くはないが。
相手も強気だ。
しかし、はったりの可能性もある。
まずは相手の様子を見ない事にはわからない。
その時、男が喋りだした。
お前のことはよーくわかるぜ。
どうせ女に捨てられたんだろう。
それでギャンブルと酒に逃げてるんだろう。
お前の間抜けずらのその顔に描いてあるからな。
ダッセー男だ。
そりゃ女に逃げられるわけだ。
挑発をして勝負にもっていく雑魚がやる常套手段。
普段の私なら安い挑発に乗らないところだ。
しかし、手札も悪くない。
また勝ちが続き酒で酔って気分が良くなっていたところに。
嫌な顔を思い出されたことで
「後悔させてやる。その勝負のった」
私は挑発を受けてしまった。
今日儲けた全額をベットした。
レイズ
コール
レイズ
レイズ
掛け金が跳ね上がっていく。
そんなに強気で勝負に出て後悔するぜ。
そもそもお金もってるのか?
もし今持ってなくても、家を売ってでもキッチリ払ってもらうぜ。
次のカードが一枚開かれ♠Aの数字が表れた。
これで私の役は
Aのフォーカード勝ちを確信した。
しかし、相手はニヤついている。
男たちは不気味な笑いを浮かべていた。
場に出ているカードで
Aのフォーカードに勝てる役はストレートフラッシュかロイヤルストレートフラッシュ。
そう簡単に出る役ではない。
なにより、手札が配られた際にレイズをしてきたんだ。
強い役なら整合性があわない。
安い挑発をするような奴だ。
手札ははったりだった可能性がある。
いや、何を弱気になっているんだ。
私のカードはAのフォーカードだ。
ベット。
私はさらに勝負に出た。
男たちもレイズを行い掛け金を跳ね上げる。
一抹の不安を抱きながらも勝ちを確信していた私は引くに引けなくなった勝負の中にのめりこんでいた。
勝負も終盤、5枚目のカードをめくり。
最後のアクションを終えて
お互いのカードを見せ合った瞬間。
私は崩れ落ちた。
すすすすすストレートフラッシュだとッ!
その後、テンポを乱された私は何度ゲームをしても男たちには勝てなかった。
後で知ることになったが
そこにいた人間は私以外が裏で協力しており
画策して私をはめていたのである。
仲間と協力すれば私という一人の人間を騙すことなど容易い事なのだ。
私からすればお金を失うこと、ポーカーで負ける事は大したことではなかった。
しかし、私はその事実を聞いた後、私を貶めたグループのリーダーを突き止め・・・
話はそこで終わった。
とても奇妙な奴だがその奇妙さに魅力さえ感じる不思議な奴だった。
私はものを書く者としてその話を聞いて驚いた。
彼の話す内容が頭の中で自然と映像として浮かび上がってきたのである。
現在二人がいる汽車のその空間には確かにポーカーをする人が現れ緊張の時間が流れていた。
小説を書く私なんかよりも彼から発せられる言葉は明らかに素敵なものだった。
物書きとして彼に興味が湧いた。私が物書きであるということを伏せてこの質問をした。
君は一体何者なんだい。君は小説家かい?
……私ですか?
……物書き……
彼から発せられた言葉は意外だった。
私は物を書くなんてことはしませんよ。
私は語らうもの。物を書くなんて乏しいものがやることだ。
音テンポ抑揚表情しぐさ ここにあるもの全てを使って表現するのです。
目に映るもの、
映らぬもの。
己が全てを持って世界を変えるのです。
それが私です。
彼のことが一層知りたくなった。
彼となら面白い小説を書ける。彼からの言葉を小説に使うことで自分の小説が面白くなる。
いや、そうではない。
私なんかが物を書くより彼が筆をとるべきだと思った。
彼の書いた小説を読んでみたい。そう思ってしまったのだ。
出会って間もなかったが、それくらい彼はとても面白い人間であった。
しかし、その後、彼は言葉を発することはなく、
ただ沈黙の時間が続き、別れの時が訪れた。
もう時間だ。楽しかったよ。もう下りないと。
あ、あ
い、いやこちらこそ。
お話とても楽しかったです。
あ、あの……、また
あえたらいいですね。
い、いやーなんか旅っていいですね。
出会いがあって別れがある。
少し寂しいですけどね……
そんなことを言いたいのではなかった。
私は彼と話がしたかった。
もう少し一緒にお話しませんか?
その言葉を伝えたかった。
形は違えど同じ志を持っているんだと。
言葉で世界をかえるんだって。
夢を語り合いたかった。
煮え切らない態度の私を見て察したのかはわからないが
彼は突如、奇妙なことを言いはじめた。
そうですか。
それでは、また出会えるように合言葉を決めましょうか。
え、あい、合言葉ですか?
そうです。合言葉ですよ。
世界を変えるその時に また出会えるように。
ああ、それは面白いですね。
この言葉は 一年後 二年後 三年後
きっと近い将来 世界にとどろくだろう。
時は今ではない様々な媒体を介してその言葉は発せられる。
ラジオ・雑誌・新聞
これらの媒体を介して
その言葉を見聞きした君はこう思う。
あの時のあいつからの合言葉だと。
もし、何か君に困ったことがあったら
その合言葉を思い出して欲しい。
なにか役に立てるかもしれない。
いいか よーく聞くんだ。
合言葉は●●●だ。
いいか●●●だ。
もう一度言う。
最後だよーく聞いておくれ。
時は今ではない。
この言葉は近い将来世界に轟く。
君はその言葉を目にしてこう思うだろう。
あの時のあいつだっと。
そして、もし君に困りごとがあったら。
愛言葉を頼りに私を探し出してほしい。
なにかの役に立てると思う
そう、合言葉は
とっさに私は答えた。
●●●だろ。
それを聞いた男は目を細めて笑った。
それでは。
そういって彼は名前も明かさず走っている汽車のドアから歩いて姿を消した。
私たちのひと時の出会いは別れお互いのレールを走り出した。
彼と別れた後、私は取材先へ向かい取材を終え無事に小説を完成させることができた。
刊行先も見つかり、少しずつではあるが順調に発行部数を伸ばし巷で噂になりつつある。
彼と出会ってから私はもう本を書くのをやめようと思っている。
新しい世界を知るために留学をして英語を学ぶのも悪くないと思っている。
あぁ語り部を目指すのもいいんじゃないか。そんなことを考えるようになった。
そういえば言い忘れていた。
最後に彼はこんなことも言っていた。
20年後に君のもとへ若い記者が訪れるだろう。
その記者の青年は大志を抱き君のもとへやって来る。
青年が訪れた際は、
私が君に行ったように
もてなしてやって欲しい。
さすれば、また、世界に種がまかれるであろう。
—
さぶい。
話はそこで終わった。
閉まっていたはずの小窓が開いている。風が書斎に吹き込みいつの間にか体が冷えていた。
取材のことを忘れ喋りに魅了されて不覚にも最後まで話を聞いてしまった。
しかし、この話は老人の突拍子もない戯言というにはよくできた話だった。
もしかしたら、この萎れた老人が先生なのか。
だとしたら、こんなことの為に先生の15年という月日は費やされたのか……
本を書いていたほうがよっぽど有意義だったのではないか……
なんで、こんなに萎れてしまっているんだ……
思考が駆け巡った。
老人は語り終えると開いていた本を閉じ、机に手をつき体重を乗せて立ち上がった。
机の脚からミシミシと鈍い音が鳴る。
本を棚にもどすとこちらを振り向いた。
小窓から風が吹く。
ランプの炎が揺れる。
灯が老人の萎れた瞳を照らす。
その時、渇いた老人の瞳孔が開き、輝きだした。
私の瞳を見て、何かを思い出したかのように、
体を揺らして目に涙を蓄えている。
老人は私に向かって手を震わせて声をにじませた。
お、おひさしぶりです。
ま、また、あなたにお会いできるなんて……
私のことを誰かと勘違いしているようだった。
もうお会いできないのだろうそう思っておりました。
私はあなたに出会ったあの日から、ずっとあなたにお会いしたかった。
こうやってまた、あなたとお会いできるなんて夢のようです……
静けさに反響する喘鳴、
喉で途切れる声、
震える身体から表出する素直な言葉。
息する間もなく、
あふれだした思いが、
ため込んでいた言葉と感情が、
全身から物語っていた。
汽車で出会ったあの日のことを今でも鮮明に覚えています。
たった数時間の出来事。あなたとの出会いは私のその後の人生を変えてしまいました。
それくらいあの時のあなたは私に強い影響を与えました。
あなたは私のことを覚えてくれているでしょうか。
私は、またあなたに出会った時に恥ずかしくないようにと思い生きてきました。
あなたの影をずっと追いかけていた。
あなたにまたお会いしたいという気持ちでここまで険しい道を乗り越えてきました。
何度もあの時の合言葉を呟いて。
あなたはあの時の合言葉を覚えていますか。
冷めた視線で老人を見つめ困惑していた私は、
気がつけば、ひとりの老人に感情を
暴力的なまでに削ぎ取られていた。
姿が別人であっても
憧れが私の前で感情をむき出しにしているのだ。
無理もなかった。
そういえば、昔読んだ小説の主人公も
確かこんな奴だった。
かっこいいのにすぐに泣く
どうしようもない僕の憧れ。
目頭が熱い、考えがまとまらない、脈の音が聞こえる。
私は老人の瞳に吸い込まれるように口を開いていた。
合言葉は・・・
なんだ合言葉って
「白銀・・・」
何を言っているんだ
頭が真っ白だった
「の・・・」
目の焦点が合わない
「城・・・」
私は先生が唯一執筆した小説のタイトルを読み上げていた。
意識の糸が張りなおされ老人に焦点が合うと
老人は目を細めて優しく微笑んだ。