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【現代童話】ケーキの上のロウソク(Candles on the cake)

ケーキの上のロウソク

「う、うめえええええええええ」

「うますぎるにゃあ
なんでこんなにうまい」

「この世界はおいしいものであふれすぎだ
これは完全に僕を殺そうとしている」

「やめたいのに
やめられない」

「なんでにゃー---」

猫の形をしているスライムが頭を抱えて叫んでいた。
その状態のまま、猫スライムのさいたまは半年前の出来事を思い出した。

ー--
医者:
「さいたまさん、これ以上甘いもの食べたら死にますよ」

僕:
「え、
先生・・・
それってどういうことですか・・・」

医者:
「そのままです。
さいたまさん、あなたは甘いもの症候群にかかっています。」

僕:
「な、なんですか。甘いもの症候群って。」

医者:
「甘いもの症候群
それは、
スイーツ依存から始まり、
スイーツ依存に終わる。
症候群です。」

僕:
「えっと・・・
すみません・・・
よくわかりません・・・」

医者:
「つまりですね、
甘いものがやめられなくなり
甘いものばかり食べたくなる
という事です。」

僕:
「うーん・・・
つまり、どういうことですか・・・」

医者:
「さっきから言ってるじゃないですか。

甘いものを食べない期間が続くと甘いもののことばかり考えてしまう。
終いには体が甘くなり、腐っていき異臭を放ち
瘦せ細り死ぬ病気です。
あなたは事の重大さをお気付きでない?」

僕:
「そ、そんな・・・
突然そんなこと言われても・・・
それってもう甘いものをたべられないってことですか?」

医者:
「・・・残念ながら・・・」

ー--

僕、猫スライムさいたまは甘いもの症候群と診断された。
想像もしていなかった。

何せスライムだからだ。
スライムも病気になる。
意味が分からなかった。

確かに僕は甘いものが大好きだった。
体質的にどれだけ甘いものを食べても
太らないため病気なんか無縁だと高をくくっていた。

~~~~

「さいたま
食べすぎだよ。」

当時は友人(ちばぺん君)が良く僕の身体のことを心配してくれていた。

「大丈夫。大丈夫。僕さ
食べても太らない体質なんだよね。」

僕は太らない事を良い事に好きなものを好きなだけ食べていた。
それは学生時代からずっと。
~~~~

ちばぺんが心配していたように大丈夫じゃなかった。
身体の中は小さな悲鳴をあげ続けていたようだった。

毎日のささいな過食が積み重なり
甘いもの症候群になっていた。

診断されてから半年、僕さいたまは甘いものを我慢した。
誕生日の今日までは・・・。

菓子パン
駄菓子
洋菓子
和菓子

菓子とつく食べ物と絶縁していた。

甘いものを避ける生活は死ぬほどしんどかった。
どれだけ甘いものを避けようとしても
この世界は甘いものであふれているのだから。

~~~
「甘くておいしいトマトは僕の大好物だもんね」

僕は子供の頃
スーパーの生鮮コーナーでカートを引きながら
ママと話していた。

ママ:
「最近はおいしい野菜や果物が増えたね。
トマトも甘くておいしいね」

「このトマトは糖度12度で
メロンより甘くておいしいんだにゃ。

こっちの焼き芋は
糖度70度なんだよ!

このイチゴは15度!

ほんと、いい世界にゃ。
これも農家さんたちが頑張ってくれているおかげだにゃ!
農家さんたちには感謝でいっぱいだ。」

ママ:
「そうね。
けど、ママはさいたまが甘くないトマトも食べれるようになったら
もっと楽しい世界が広がると思うけどな。」

僕はママが言っていることがいまいちわからなかった。

「そんなことないにゃ。
野菜は甘ければ甘いほどおいしいんだから
もっともっと野菜は甘くするべきだにゃ。」

ママ:
「ママはそんなことないと思うけどな。
甘くない野菜があるから、
果物が甘くておいしいって感じられる。
色んな味があることが大切なんだと思うよ。」

「そんなもんかな・・・
なんにしても、この世界はおいしい食べ物でいっぱいでいい世界にゃ」
~~~

甘いもの症候群と診断されてからは
街の見え方が180度変わった。

幸せを運ぶパン屋、ケーキ屋が
シャブの売人のように思えた。

見え方が変わっても
身体は甘いもの好きなさいたまのままだ。

ダメだとわかっていても体が甘いものを欲する。疼く。
自分が自分ではないようだった。

しかし、この世界はおかしい。

コンビニに行けば
・チョコレート
・シュークリーム
・オムレット
・ロールケーキ
・チョコブラウニー
・エクレア
・クリームどらやき
・ホイップサンド
・モンブラン
・大福
・チーズケーキ
・ワッフルケーキ
・クレープ

数え上げれきりがないにゃ。
そう、僕にとってコンビニは常に新鮮な果実が実る楽園だった。

多種多様な極上のスイーツが300円もあれば購入できる。
自分の好きな「幸せ」をたった300円で購入できるのだ。

そして、どれもがおいしすぎた。
商品を見れば僕の頭は甘いものに支配される。

結局どの商品も名前を変えているだけで中身は
チョコ、小麦、砂糖、乳製品、フルーツを原材料にした
糖質と脂肪の塊にすぎないはずなのに

僕さいたまはその塊に振り回され続ける。
一日一回甘いものを食べないと居ても立っても居られない。
一度食べればもう止まらない。

お菓子はまるで悪魔のように魅惑的な恋人のようだった。
そう、僕の理想の恋人だった。
(まあ、恋人なんて人生で一度もいたことがないが。)

安くてうまいお菓子はそれだけではない。
この世は幸せを感じられるスイーツで溢れている。

ブラックサ●ダーを食べれば
1つ30円で脳内にイカズチが落ちて目がバキバキになる。

菓子パンなんか
あんなにおいしいのに
100円ちょっとの値段でどこでも買える。

羊羹のスティックなんて
あんなにずっしりとしているのに
70円で購入できるのだ。

頭がおかしくなるのも当然だった。
極楽浄土級の極上のスイーツが
雑草のようにそこら中で手軽に格安で手に入るのだから。

コンビニスイーツというものは神様が食べるべきものだ。
それくらい尊いものであるべきだ。
下等生物の私ごときが当前のように気安く食べていい代物ではなかった。

少なくとも購入する前に一度
その有難さに手を拝むべきものなのだ。

存在してくれてありがとうの意を込めて
「御菓神(おかがみ)ます。」と。
もちろん「御菓神ます。」は僕が作った言葉だ。
意味は、お菓子に対する最上級の敬意だ。

そうなると、
「お菓子」「コンビニスイーツ」という名称が悪く思えてくる。
「コンビニスイーツ」というだけで、
親しみやすくてお手頃価格の良心的なスイーツであると錯覚してしまう。

そう、間違いだ。
コンビニスイーツは神聖で貴いものであってもいいはずだ。
人を幸福へ導く食べ物なのだから。

だからこそ、
コンビニスイーツは御神饌(ごしんせん)と呼び名を変えても差し支えはない。

そう考えると、
煩悩の塊の僕が神の供物である
御菓子を食べればどうなるかわかりきっていた。

人参を目の前にぶら下げられ
走り続ける馬車引馬のように
資本主義という偉大なる神様の奴隷になっていたのだ。

コンビニスイーツを食べる為に働く
糖質アメーバーになったのだ。

本当はやめたいんだ。
糖質を断ちたいんだ。

だけど一度開いてしまった世界は僕を惑わした。

お菓子。

そうお菓子。

ああ、お菓子。

今の僕にとってお菓子は
マッチ売りの少女のマッチのような気分だ。

当時の僕はというと
社会という荒波の中

ひとり何も考えず
目の前の仕事だけに集中して
奴隷のように働き身を削っていた。

そんな中
お菓子を食べると幸せになれた。
だから僕は、お菓子という幸せを毎日こすり続けた。
ただそれだけ。
マッチのような小さな存在がお菓子だった。

~~~
「さいたま
最近、顔色悪いぞ。
クマひどいし仕事忙しくて寝てないんじゃないか?」

仕事の合間に僕を心配した先輩が話しかけてきた。

「は、はあ」
僕は10年前から、もともとこういう顔だ。
いきなり顔色が悪いだなんて、
僕の顔にケチをつけられたみたいで気分が悪かった。

僕はいたって健康で元気だ。
先輩だから相槌を打ったが
もう少し言い方を考えて欲しかった。

まあ確かに顔はというと・・・
老けたか・・・。
トイレの鏡の前に立ち自分の顔を見つめてそう思った。

今日は仕事がたてこんで疲れたし、
帰りにご褒美に甘いものでも買って帰るか。

あの頃は、仕事終わりに
ジュースとスイーツを
買って帰るのが日課だった。

それが幸せだと思っていた。
~~~

そういえば、
マッチ売りの少女の物語の最後はどうなる・・・

確か・・・
少女はマッチをこすって
幸せだった頃の映像を思い浮かべて
寒さの中、息を引き取るんだったような・・・

~~~~

Happy Birthday to Me
Happy Birthday to Me

僕は灯もつけず部屋の片隅でひとり
マッチをこすった。

白いケーキに刺さったロウソクに火を灯して
歌を口ずさむ。

Happy Birthday Dear Saitama

「甘いものを食べたらだめですよ」

医者にはそう忠告されていたが
誕生日なのだから
甘いものを我慢してきた自分を祝いたかった。

ただそれだけ。

ケーキは食べない。
ただ、ロウソクに火をつけて
誰も祝わない僕の誕生日に
花を添えるだけ。

ケーキは
雰囲気の為だけに買ったのだ。
だから・・・

Happy Birthday to Me

歌を歌い終わったあと、
さいたまは大きく息を吸い
口をとがらせてロウソクの炎めがけて
ゆっくりと息を吐いた。

ふー

炎が揺らぎ消える音がすると
沈黙が10秒ほど続いた。

静かだった。
息遣いも鼓動も聞こえないほどに。
静かだった。

その時、
突然、さいたまの声が津波の如く
真っ暗な部屋に押し寄せた。

「う、うめえええええええええ」

「うますぎるにゃあ
なんでこんなにうまい

この世界はおいしいものであふれすぎだ
完全に僕を殺そうとしている

やめたいのに
やめられない

なんでにゃー---」(頭を抱える)

さいたまは、家族や友人たちと祝った
子供時代の楽しい誕生日会を思い出しながら
最後のマッチをこすった。




あとがき

お話を読んでいただきありがとうございます。
この物語はマッチ売りの少女は現代でも通じるものがあるなと思い書き始めました。

お菓子を食べると幸せになれる。
しかし、食べ過ぎたら体を壊す。
幸せだった誕生日の真ん中にはいつもホールのケーキがあって。
お菓子は幸せに花を添えてくれる存在でした。

・お菓子を食べれば100%幸せになれる。
・お菓子は「幸せ」を買えるコスパが良いツール
これは間違いないのですが、
お菓子が幸せの中心の世界は違うよねって話です。

マッチ売りの少女において
本当に必要なものはマッチなんかじゃなかった。

家族や友人、
会社の同僚、先輩、後輩
社会とのつながり
人とのふれあい。

お菓子のように人との触れ合いは
甘いだけではありません。

しかし、
お互いに理解し共感し認め合い受け入れ笑いあう
そんな事が飽食の時代であれどんな時代にも幸せの柱なのだろうと
大人になってマッチ売りの少女を読んで気づかされました。

しかし、かくゆう私も人との繋がりは難しい事ばかりでマッチをこする毎日です。